障がい者アートとインクルーシブ社会

今日、小田原まで足をのばして、「障がい者アートとインクルーシブ教育」の講演会を聴きに行きました。(夫にRAYを見てもらいました😀)

お話は、播磨靖夫さん。

「障がい者アートの草分け的な存在です。奈良で、障がいのある人たちの生きる場「たんぽぽの家」づくりを市民運動として展開また、アートと社会の新しい関係をつくる「エイブル・アート・ムーブメント(可能性の芸術運動)」を提唱。」

播磨さんは、もともと新聞記者で、弱者の立場からという視点を持っていて、アートの分野に転じてから、50年間、障がいがあっても不幸にならない社会を作りたいと活動されてこられました。

「障がいのある人の文化は、よく観察すること、洞察力を働かせて、創造力をもって、表現とすること」

障がいのある人の立ち居振る舞いをよく見ることにより表現されているものがあることを、オクタニハルミさんという重度障がいの方を例にとってお話されました。

ハルミさんが、播磨さんに会ったときに、ベールをかぶっていて「綺麗やろ」と話しかけたそうです。次に会った時には、ハルミさんが赤ちゃんの縫いぐるみを持って「可愛いやろ」と話しかけた。そして、播磨さんは彼女が何を表現したかったのかを考えた。

ハルミさんの状況を聞くと、彼女が親戚の結婚式に参列し、親戚が出産したことが分かった。重度の障がいがあり、結婚や出産ができない女性としての「悲しみ」があることを知ります。そして、ハルミさんとプロのダンサーにより、結婚についての想いをダンスという形で表現することになりました。

その他、播磨さんの言葉から。

・絵を「見せる」x「見る」という交点にアートがあること。ここに展覧会をする意味がある。

「障がい者アート」は以前から、見てもらう人との交流をしてきたインクルーシブな関係性がありました。見てもらう人によってあらたな出会いや関係性が生じます。

(昨年度、アート展2回開催し、かなり大変だったので、しばらくお休みしよう!と思っていたので、この言葉、実はちょっと耳が痛い…💦)

・「障がい者アート」は単に普通の上手なだけのアートでは面白くない

本当に同感です!上手く見せようとするエゴの無さが絵の魅力だと思うからです。

・幸せは、アートによって人との関係性を持ち、個性を光り輝くことをめざすこと。

・障がいのある人の作品の中には「悲しみ」があることを思いいたすこと。

他者の痛みに気づきを与えてくれる。傷は誰にでもある。悲しみがエネルギーになっている。

播磨さんのこの言葉を聞いて、犬の絵について、RAYが指筆談で語った言葉を思い出しました。

「あふれでる絵は、悲しい感情が出てくる。ぼくの悲しみを癒すために、動物を描いている。犬は人を癒してくれる存在ですが、癒すたびに、犬は人の悲しみを自分のことのように感じて、いつも悲しい心になってしまいます。そんな悲しい顔を描きました。」(柴田保之教授指筆談通訳 RAY)

障がいのある人の絵を見たときに、単に「色が綺麗」だけでは終わらない見方があることを強調されていました。

私もRAYの指筆談の言葉を知るまではそのような気持ちで描いたということは想像もできませんでした。

長年、障がい者アートの世界に身をおいてこられた播磨さんだからこそ出てきた言葉の数々の重みを感じました。

犬 (RAY 2014)

 

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