介助つきコミュニケーション研究会に参加しました!
介助つきコミュニケーション研究会に参加しました!
今日、国学院大学で行われた、介助つきコミュニケーション研究会に、RAYと一緒に参加してきました。
「介助つきコミュニケーション」とは、手を添えるなどの介助を通して初めて可能になるコミュニケーションの方法のことです。(代表的なものは、介助者に手を添えられて文字を書く方法(指筆談)と介助者に手を添えられて文字盤を指さす方法、介助者の「あかさたな…」という声に合図を送って文字を選んでいく方法です。)
研究会の前半では、当事者の報告の他、横浜の通所施設(ガッツビート西)で、人権擁護の観点から、介助つきコミュニケーションの研修をして、利用者さんの意思を確認するようにしているという報告がありました。心から、このような活動が広がっていけば良いと思います。
プログラムの後半で、当事者(言葉を伝えることが難しい方たち)だけの指筆談による、シンポジウムがありました。
その中で、RAYは、自分の絵についてと、相模原の事件のことについて触れていました。ここでは、RAYの自分の絵について、お話したことについて紹介します。
(RAYの言葉)
ぼくの絵については、2重の評価がされています。
1つ目は、障がい者の絵として評価されること
2つ目は、ずっと飾っていると落ち着く絵だと感じてもらえること
もちろん「ぼくの絵をずっと飾ってもらえるかどうか」が良いです。ぼくは、別に有名になりたいという訳ではありません。率直な自分の表現を広めていきたいです。
絵は、「自閉症だから」というワクだと、心が豊かだからという理解にならないことがあります。自閉症の人は、心が分からないのに良い絵を描くという評価をされてしまうことがあります。
昨年の国学院フェスティバルのときに聞いた、難病の障がいのある人が言った、「生まれ変わるとしても、もう一回この身体で生きて良いよ」という言葉が、今もぼくを貫いています。
ぼくは、自閉症に生まれ変わりたいとは思わない。でも、色々考えた末、もう一回生まれ変わっても、ぼくの絵が描けるなら、この身体に生まれても良い、と思うことが出来ました。
人は個性をしっかり表現していけるかどうかが大事だと思うからです。」
RAYの絵の評価についての話は、とても考えさせられる内容でした。私自身、まだ指筆談は超初心者ですが、もっと練習してRAYの気持を読み取れるようになりたいと思いました。