はじめて「きんこんの会」に行った日
RAYがはじめて、國學院大学柴田先生が主催する「きんこんの会」に行ったのは、今から8年前、2013年8月のことです。
「筆談」というものに、はじめて出会った日のことは、親子ともども大きな衝撃だったことを、ありありと覚えています。
きんこんの会では、当事者たちが輪になって、柴田先生による通訳により話合いをしていきます。
RAYの内面の言葉がつむぎだされる瞬間。涙がでました。
下記RAYの言葉です。
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ぼくの番が来ているとは思わなかったので驚いています。
はしばれいです。
昨日から、お父さんとお母さんが、ここに来ると教えてくれてからは、不思議な人たちがいるのだなあと思っていました。来てみて、よけいに驚くことばかりです。
ぼくたちの気持ちを聞くやり方というのがあるとしたら、なにか機械を使うに違いないと思っていたのに、みんなただ手を触ったり、手を動かしたりして、僕たちの気持ちを聞き取っているので、大変驚きです。
特に、この先生のは、あかさたなを時々言うだけで、あかさたなを言わずに、あかさたなの表から字を拾い出しているようので驚きですが、手で字を書くやり方だって、あんなに早くぼくたちの字を書きとれるなんて信じられないよう気持ちでいっぱいです。
先生のことについては、きっとまだまだ疑う人は多いと思いますが、こんなにたくさんの仲間たちが、一緒にいろんなことを言っているという姿を見ただけで、ぼくはとても幸せです。
さっきまだこれからだとおっしゃった、あれは本音でおっしゃっていましたが、ぼくはこのことが知れただけ今日はうれしくてしかたがありません。
確かに、このこと(筆談)をどうやって家でもできるようにしくかは長い努力が必要なのかもしれませんが、少しずつでもできるようになっていけたらいいなというふうに思います。
ぼくたちの気持ちが通じ合って、当たり前の人間であるなどと誰が言ってくれたでしょうか。
皆ぼくたちは知的障害があれば、人間としては質が低いとかばかり言われてきたので、当たり前の人間として認められるなんて、あまりにも夢のようなことです。
ぼくも、少しうれしくて、気持ちが顔に出ていると思いますが、普段はなかか顔に気持ちが顔に出にくいので、何を考えているかもわかのですが、今日はいい顔になっているはずですよね。とてもいい顔が出てきて嬉しいです。
ぼくたちは、表情が出にくいと、さっき仲間が言っていましたが、本当にそうで、だから表情を読み取れる仲間がぼくたちのそばにすぐ来るというのは、これも本当のことで、その中には主にダウン症の仲間たちが含まれているというのも本当のことです。まさかそのことをお互い知り合っているとは知りませんでした。
ぼくも、なぜダウン症の人ばかりが、ぼくのことをわかってくれるのか不思議だったのですが、ぼくのこの表情の変化を見分けられる能力がダウン症の人にはあったのですね。そんなことは思いもよらなかったことなので、いま改めてその仲間の人たちに感謝しています。
ぼくは「ダウン症」という言葉は大嫌いでしたが、今日は使ってもいいのかなと思ったので、使いました。出生前診断についても、ときどきテレビで聞こえてくるたびに胸がいたんでいま
した。
ぼくたちは、まだ検査ではひっかからないそうので、殺されないですみますが、検査でひっかかるようになったら、ぼくたちは、ダウン症の人たちよりずっと障害が重いし、問題が多いと言われているので、殺されるのは火を見るより明らかなので、あれはいつかぼくたちの身に降りかかって来ることが先に、仲間の方に降りかかったのだと思って、悲しんでいました。今日は、まさかその話をこんなにも堂々とみんなが言うとは思わなかったので驚いています。ぼくたちの命については、まだまだ考えなくてはいけないことがあるようですね。
さっきそのことを、コンサートでやるまで聞いたので、ぼくは本当に驚いています。(柴田)先生はそういうこともしているのですね。先生たちのコンサートにぜひ入りたいですが、今日は本当にたくさんの話が聞けて、ぼくはまだ夢を見ているような気がしています。
こんなやり方があるなんて本当に信じられられないので、ぼくは会に来れて、ぅれしくてしかたありません。本当に話す機会までいただけて、感謝してもしきれないほどです。ありがとうございました。今日はこんな会に来れて本当によかったです。
お父さんもお母さんも、がんばって連れてきてくれてうれしかったですが、なかなかぼくのことがわからなくて、お母さんもつらかったと思います。
実は、お母さんは、ぼくが小さい時から、けっこうなんでもわかっていることを知っていたのに、お母さんがそのことをロにすると、専門家は必ずそれを否定しては、お母さんを悲しませてきたので、さきまど学者は大嫌いだと言った人の気持ちは、ぼくにはとてもよくかります。
ぼくたちは特別に誤解されやすい障害のようで、お母さんが、わかっているかもしれないと言った瞬間に、そんなことはないと一番先に言われて、なかなかぼくのことを理解してくれる人が現れなかったけれど、こうして理解してくれる人が現れたのは、いつか世の中の人たちがわかってくれるに違いないと思うので、がんばって生きていこうと思いました。これでぼくの意見は終わりにしたいと思います。
ありがとうございました。
RAY談(柴田保之先生 通訳)
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