自閉症ならではのアート(らいち君との対話)
昨年10月、RAYが柴田先生の研究室を訪問したときに、同じ年のらいち君と会うことができました。そのときに、指筆談で対話をしました。今回は、自閉症ならではのアートのことについてです。
らいち)
さっきの絵をここからでも少し見えましたけど。やっぱりすごいな。
あんまりそれ以上は、僕は言えませんが、それは十分伝わるものがありましたから、きっと見る人が見たらもっと評価されるというか、評価されることのために描いているわけではないことはよくわかっていますが、きっとそういったことに繋がっていくと思いました。アーティストっていいですね。
RAY)
憧れの職業といえばそうかもしれないです。
僕は自分の絵は特徴があるだけで、そんなに本当にすごい絵をいっぱい見てるので、そういう絵に比べるとやはり残念ながら、自閉症という特性うまく利用した芸術だと思うので、それをあまり強調したくはないなとは思います。
残念ながら自閉症じゃないと描けなかったので、そこのところを、わざわざ自閉症という言い方はしないというつもりもない。とにかく、僕が持って生まれた感性の大部分は自閉症という障害と深く関わっているので、それをどんなふうに言葉で表現するかはそんなにこだわってはないけど、とにかくそういう感性とは深く関わっている。
そこのところがある限り、やはりあの健常者の巨匠たちの複雑な素晴らしい絵に比べると、足元にも及ばないのはよくわかっているけれど、そういう僕たちの与えられた条件の中で何か人に伝わるものがあるなら、それはしっかりと追求していきたい。
いろんな仲間というか、いろんな自閉症の人や知的障害の人が独自の絵画表現をしているのも最近はずいぶん認められているので、僕もそういう流れの中のちっちゃなちっちゃな1人でいいので、僕も僕らしさを追求したいと思っています。
少し照れくさいですが、僕の絵でTシャツができたり、トートバッグができたりしていて、それがどんなふうに、そういう人たちの生活の中に入っていくのかなと思うと、ちょっとだけ僕も社会性を持てたような気がして、とっても嬉しいです。柴田先生も僕のそういう製品を、とっても素晴らしいと言ってくれたので、そういうのが何か社会参加と関わるような気がして、それがとても嬉しいです。
らいち)
RAY君の絵は、Tシャツやバッグに描かれていた。それはもう既にアーティストですよね。自閉症アーティストいいじゃない。
うん。僕は脳性麻痺の大学進学を目指している。
それも重度の障害者。
これからどうやって受験をして、どうやって学校に入ってどうやって学んでいくかというのは、さっきRAYくんが、本当に多くがこういう状況であるからしかできないことなので、これは誰にも変わってもらえるものでもないし、でもそうやってRAYくんや僕が、自分のこの状況の中でやっていくことで、結果的に社会が変わっていくと思う。
そこに続く人たちが出てくるのは間違いないと思っている。
これからが「僕たちの時代」だということを、今日は宣言します。