心の知性 目にうつるものだけがほんとではないよ(柴田先生の講演会を聞いて)
9月9日、映画「僕のうしろに道はできる」と國學院大学の柴田保之先生の講演会に参加することができました。
柴田先生は「誰もが言葉をもっている」についてお話をされました。
柴田先生のお話で、特に印象に残ったのは、障がいのある人についての「人間の見方」についての捉え方です。
「従来(というか、今でも大半の見方かもしれません)の見方」では、障がいのある人の表現された「行動」と「表現」(表出)だけで、その人の水準(精神年齢)を表わす見方をしているということです。
しかしながら、何らかの身体的な障がいや、脳の異常などで、身体をうまくコントロール出来ずに、思ったことを、言葉や行動に移すことが出来ない場合もあります。
柴田先生は、「従来の見方」だけではなく、「新しい見方」として、表出した見かけの遅れは、「表現するプロセス」に障がいの表れがあるということを強調されていました。
例えば、自閉傾向のある人は、飛び跳ねたり、くるくる回転したりする常同行動をしたり、身体を思うようにコントロールすることが出来ずに、「身体が勝手に動いてしまう」こと、同じ話を何度も繰り返してしまうなど、話をしようとすると、「頭の中が真っ白になってしまう」ということがあります(自閉症の作家の東田直樹さんの「ぼくが飛び跳ねる理由」)。
RAYも最初に精神科の医師に診断されたときに、「発達遅滞」であると言われました。また、田中ビネーテストにより偏差値を出されて「知的」障がいに区分されます。これらの言葉を最初に言われたとき、ものすごく違和感があったことを覚えています。
言葉と行動で「表現」していることと、実際の内面の世界のレベルを一律に判断してしまうことはおかしいのではないかという気持ちを、長い間うまく言語化出来ずにいたので、柴田先生のお話を聞いて、すっと腑に落ちた気がしました。
RAYは、絵を描くので、精神科の先生にも見せても、診断では、表出言語と行動だけで、精神年齢が判断されてしまい、絵によって表現された世界については何ら彼の内面の世界があるという理解にはつながらない気がしたことを思い出しました。4歳の時に受診した精神科の医師は、「本当にこの子が描いたの?」というような言い方をされたこともありました。
目にうつる言葉や行動で表現されたものというのだけが本当ではないこと、障がいのある人の心の中の豊かな世界があることを知ってもらいたいとあらためて思いました。
目に見える表面的なものだけで「知性」を判断されてしまうのではなくて、心というものの存在に焦点を合わせた「心の知性」の存在を認められる社会になっていってもらいたいと思います。
心の中の世界を表現する手段は、アート、音楽だけに限らず、さまざまな意思伝達方法(ファインチャットのような意志伝達装置、指筆談などの介助付きコミュニケーションなど)があります。
来年の3月、一緒にアート展をする小林浩太朗さんの「目にうつるものだけがほんとではないよ」という言葉と共に、このような方法があることも皆さんに伝えていけたらと思いました。
(柴田先生が主催する「きんこんの会」の鐘の絵はRAYが描いたものです)