絵はわかる必要がない!?

絵はわかる必要がない!?

よく「現代絵画はわからない」という人がいます。私はずっと、「絵はわかる必要ってあるのかな?」と思っていました。

先日の白鳥建二さんの「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」に参加させてもらってから、ずっと絵を鑑賞することについて考えていました。

「目の見えない人は世界をどう見ているか」(伊藤亜紗著 光文社)という本に、「作品を鑑賞するとは自分で作品を作り直すこと」ということが書いてありました。

本の中で、例としてあげられていたロシアのマーク・ロスコの絵画は、鮭弁のようだと言われればそのように見えるし、ポストの中と言われればそのように見える。どのような言葉で言われたかで作られるイメージが変わってきます。

マーク・ロスコ No.10,Brown,Black

先日のワークショップで目隠しをして絵を鑑賞したときに、周りの人から与えられる情報で、頭の中に言われた言葉から想像を膨らませてイメージを作っていく経験は「自分で作品を頭の中に作り直すこと」そのものでした。

これは、目が見えている人であっても、同じ絵を見ても皆が皆同じに見ている訳ではないし、見方に正解がある訳ではないということだと思います。

最近、目の見えない人にガイドしてもらうツアーや触って体験する美術館など、あえて目を見えない状態で体験する機会が多くなっています。

現代、私たちはスマホなど視覚情報が溢れすぎて視覚情報に振り回されてしまいがちな生活を送っています。頭の中に入ってくる視覚情報を制限して視覚以外の感覚(聴覚、触覚など)を大事にすることが求められています。

視覚障害のある人に、もし絵を説明するなら自分はどう伝えるのか?ということを想像しながら絵を見ると、今まで先入観で見ていた絵が全く違うものに見えてくる気がします。アタマでっかちに、絵をわかろうとしないで、純粋に見るというが大事という当たり前のことに戻ってきます。

「3人の見える世界」 RAY 2017

「3人の見える世界」(原画 RAY)銅版画 RAY母 2019

 

 

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