60年代生まれ、キム・ジヨンから谷さん流へ
60年代生まれ、キム・ジヨンから谷さん流へ
韓国で100万部を超えるベストセラーになった小説『82年生まれ、キム・ジヨン』。
本書はキム・ジヨンの生まれた1982年からその半生を振り返りながら、彼女が幼少期から大人になるまでに経験してきた様々な理不尽や不平等、女性であるがゆえの困難を克明に描き出した小説です。
『82年生まれ、キム・ジヨン』チョナムジュ作
私は小説を読んでいないのですが、先日、NHKでキム・ジヨンの特集した番組を見ました。私は60年代生まれですからキム・ジヨンよりも20年も前。私が、就職した80年代は、1985年に男女雇用均等法がようやく施行され、91年に育児休業法が制定と育児休暇も無い時代でした。
30代、2人の子供を出産し、育児とフルタイムの仕事を両立していましたが、次男RAYの障がいが判明した40代、療育が始まり、フルタイムから自由度がある細々とした働き方に変えざるをえませんでした。
「しょうがない」という諦めに似た気持ちと「なんで自分だけが」という気持ちの板挟みの中、仕事の量を調整しながら何とか仕事を続けてきました。しかし、息子の障がいの受容と共に仕事のキャリアの諦念の気持を自分の中で消化するのは長い時間がかかりました。
キム・ジヨンの番組を見て、育児のため仕事を辞めざるを得ず、何とかまた仕事に復帰しようとあがいている女性達の姿を見て、自分の40代のときの何とか仕事を続けようとあがいていた時代を思い出しました。
そんな中、今日、「doux.ce」を主宰するフラワースタイリストの谷匡子(まさこ)さんのこんなインタビュー記事を見つけました。http://ichidanoriko.com/archives/6520
谷匡子さんのフラワーアレンジ
「…大事なのは、やる決断よりもやめる決断。引き際だけは見逃さないようにしています。引き際はいつも子供達が教えてくれました。
さらに、自分の子供だけではなく、目の前にいる人や周りの人を大事にできるかどうかを考えるようにもなりましたね。周りを大事にできることと、自分を大事にすることは同じことだと思うんです。仕事の良し悪し、収入で判断するのではなく……。」
RAYの障がいは年齢と共に軽くなるという訳では無く、一時的に落ち着いている時期があっても、反抗期や思春期に精神的にも不安定な時期がやってきます。しばらく落ち着いたので、仕事量を増やしてみたものの、RAYが不安定になってしまい、仕事の形態を変えざるを得ないということを何度も繰り返してきました。そして、50代の今、自分の体力も落ちてきたこともあり、仕事は最低限にし、RAYの全面支援に回ろうと軸足を切り替えることにしました。
まさに、RAYが身を持って、私に「引き際」がいつかということと、「家族を大事にすることは自分を大事にすることは同じ」という、自分中心の価値観から「周りの人を大事に思う=自分を大事に思うこと」という価値観の転換を教えてくれたのだ、とあらためて思いました。