いつもありがとう
いつもありがとう
ぼくの名前は、RAY。
ぼくは、広汎性発達障がいの18歳。
お話は、少しだけ出来るけど、自分の気持ちを中々分かってもらえない。
例えば、こんな感じ。
母「これどんな味?」
RAY(どんなものでも)「甘い味」
母「何先生と勉強したの?」
RAY「イワキ先生」
母「イワキ先生は、どうだったの?」
RAY「好きだった」
母「イワキ先生、レイに何て言ってたの?」
RAY「ありがとう、って言ってた」
母「RAYは、イワキ先生に何て言ったの?」
RAY「ありがとう、って言ってた」
母「今日、誰と遊んだの?
RAY「トモ子お姉ちゃん」
(トモ子お姉ちゃんは、実在せず、RAYの中の天使的な存在のようだ)
「今、どんな気持ち」と聞いても、
良い時は、「楽しい気持ち、嬉しいな」か、
悪い時は、「悲しい気持ち」。
運動会(2012)
ぼくは、お母さんに言わせると、とても育てるのが大変だったそうだ。
ものすごい偏食。
小学校低学年ぐらいまで、食べられるものが、3種類位しかなかった。
さらに、それが、その時々で、コロコロ変わる。
お母さんは、それを探すのに必死だ。
学校のイベントは、苦手。
運動会や学芸会の練習などで、ストレスがかかると、全然食べられなくなってしまう。
小学校1年生の時、拒食症になった。
小学校に行っても、机にうっぷしてぐたっとしている。
そんなときは、水分とお菓子だけで命を繋いだ。
こだわりは、食べ物だけじゃない。
こだわりは、いろいろある。
その時々で違うけど、
小さいときは、
道端の石灯篭をずっと見続けて、石のように動かなくなったり、
お人形をずっと並べたり、
水遊びをずっとしたり、
トイレにこもったり、その時々で変わるこだわりは、たくさんたくさん。
でも一つ一つに、理由はあるんだ。
ただ、それをうまく言えないだけ。
こだわりだって、ぼくの大事な表現。
そんなぼくの表現の中の大きな転機。
絵を描くこと。
ぼくは、絵を描くことによって、自分の気持を表せることが分かった。
それでも、ぼくの絵は、描きたいように描けているわけではない。
ぼくの手の動きは不思議。
カラダは、思い通りに動かないのに、絵は、心のイメージが、のりうつって思い通りの表現が生まれる唯一の手段。
「描いて」と言われても、自分のイメージでしか描けない。
自分が掴んだイメージを描かずにはいられない。
そうしないと落ち着かない。
自分で、自分自身で操つることが出来ない。
自分の中からあふれ出るものを、コントロールすることが出来ない。
本当は、自分で自分の絵を直すことが出来たら良いのに。
そんなぼくを、ありのまま受け入れて、暖かく見守ってくれる人達、
天国に行っちゃった、横浜のおじいちゃんとおばあちゃん
学校の先生たち
学童のスタッフのお兄さんとお姉さん
お友達、
そして、ぼくの家族、・・・
ぼくは、そんな人達の中で、生きている。
ぼくは、心の中で、いつも言っている。
「いつもありがとう」
(介助付きコミュニケーションのRAYの言葉に母が脚色したもの)