「生まれ変わっても今のままで良い」(きんこんの会に参加して)

「生まれ変わっても今のままで良い」(きんこんの会に参加して)

1月末、今年初めてのきんこんの会に参加しました。
私の足の状態も完全ではなく、RAYも週末疲れで、参加を迷いましたが、座っていたRAYが「行く」と立ち上がったので急遽行くことに。

きんこんの会では、国学院大学の柴田先生による指談通訳で、障がいのある人当事者同士が話し合いをします。

きんこんの鐘(2014 RAY)

RAYが語った言葉の中より

「ぼくは、二十歳で亡くなった先輩の言葉『生まれ変わっても今のままで良い』に衝撃を受けた。
ぼくは、とてもこの不自由な体で生まれ変わりたいとは思えなかった。
でも、これまでの人生の中で、自分が自閉症ゆえに出来ること、絵を描くことがまた出来るのなら、この状態で生まれても良いと思えるようになった。」

RAYのこの言葉を受けた、中途障がいの20代の女性の言葉より

「私は、15歳のときに事故で、麻痺と寝たきりの障がいとなった。
数年たって、新しい生命の芽が出てきた。
私は以前、陸上をしていた。
でも、この障がいの状態で感じられることは、以前よりも大切なことがある。
体を動かすことに喜びを感じる。
人はこんな状態になった自分を大切にしてくれることが大発見だった。」

私は、この中途障がいの女性の言葉、「昔、陸上部だったときよりも、今の寝たきりの状態の方が貴重な体験をしている」にはっとしました。

傍目には一見不自由と思われる体の状態であっても、実は、日々豊かな体験をされているということに。

私の足の怪我は、もちろんレベルは全く違いますが、一種の「障がい」の体験でした。歩くことも出来ず、何で自分がこんなことにと自己憐憫も感じました。一方、松葉杖をついていると、人からの優しい言葉がけにあらためて人の温かさを感じました。

足が回復してきて、びっこで歩けるようになると、歩き難くじれったいですが、「歩けること」に喜びを覚えました。

ゆっくりとした足取りの中で見えるものは以前と全く異なる景色でした。さっさと歩いていたときや、自転車で通り過ぎるスピードでは見ることの出来ない、空の青さ、木々の葉の美しさなど、同じ道でも、まったく見えるものが違いました。

先の中途障がいの女性も、以前の体とは見えるものや感じることが全く違う、豊かな体験をされているからこそ言えた言葉なのでしょう。

現代の生産的かつ効率的に物事をこなすのが当たり前の風潮の中、人生にとって大事なこと、「今ここ」の体験をじっくり味わい、人の優しさに気づくことが、すっぽりと抜け落ちてしまう健常と言われる人たちの暮らしの危うさを教えてくれたような気がします。

何より「生まれ変わっても今のままで良い」とは、今の自分自身の状態がどのような状態であっても、まるごと受容し肯定出来ることなのだと思いました。

阿弥陀座像(2019 RAY)

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